便利すぎる世の中

2017年05月31日

二泊三日の伊豆大島見学旅行(5年生)を皮切りに、各学年の遠足行事が始まりました。伊豆大島の行事の様子は、ホームページでご覧いただけます。是非、ご覧ください。 遠足は、子どもたちが楽しみにしている行事です。梅雨入り前の遠足日和に当たることを祈っています。

さて、先日、7月末に行う幼稚園・保育園・小学校連携のシンポジウムにパネリストとしてお招きする幼稚園の園長先生を訪ねました。初めてお目にかかる先生でしたが、お忙しい中、温かく迎えて頂きました。初対面にもかかわらず、教育観が一致していたせいでしょうか、話が弾み、あっという間に時間が経ってしまいました。その会話の中で、園長先生がお話になったことの中の一つに、こんなことがありました。

「この子たちが大人になる頃には、AI(人工知能)が発達して、今ある職業の3割くらい しか残っていないそうですね。」

この言葉は、私も最近どこかで目にしていました。園長先生とお話ししていたときは、低学年の実践に関わっていた頃、原体験の不足を感じ、お買い物ごっこなどを授業に組み入れながら算数の授業に取り組んでいた話をしました。園内を案内して頂いた時、水槽に入ったおたまじゃくしを眺めながら、

「子どもたちは、カエルの子がおたまじゃくしであることは知っているのですが、カエルになりたての尾がなくなって前足まで出そろった小さな黒いカエルを見 ても、カエルじゃない、と言います。」

と、話してくださいました。カエルとは、それなりの大きさをしていて、緑色で…、という概念は絵本などで知ってはいるものの、その成長過程は全く理解されていないのです。実際に飼育してみて、毎日の変化を自分の目で追いかけて初めて理解できることでしょう。これは、正に私達が「総合」の授業の中で大切にしている「体験に根ざした事実認識」に他なりません。思わず、大きく頷いてしまいました。

幼稚園を出て、帰りの道すがら、AIのことが頭の中で引っかかっていました。そして、いつの間にか、自分が小さい頃の絵が断片的に脳裏に浮かび上がってきました。その園長先生も小さい頃、吉祥寺でお育ちになったということをうかがったせいでしょうか…。 私が小さい頃は、子どもにも家庭で様々な仕事が割り当てられていました。風呂の水張り、ゴミの焼却、練炭の火おこし、ストーブの給油、鶏の世話(キャベツをきざむなど)…。(小学校低学年頃までの記憶が混ざっていますが、…。)今、覚えていることだけでもこれだけあります。風呂はガスコンロのようなものがあり、栓をひねり、マッチで火をつけるものです。ボオーと凄い音がするので、怖かったことを覚えています。いえいえ、決して、田舎で育ったのではありませんよ。先程も少し触れましたが、私は、4年生まで吉祥寺で育ちましたから。水道道路がまだ砂利道で名店会館や中央線の大踏切があった時代です。昭和45年(1970年)頃の話です。

今日では、風呂の水張りも自動ですよね。スマホで水張りから追い炊きまでを操作することもできるようです。ですから、今の子どもたちは、私たちが子どもの頃にいつの間にか知っていたこと、出来ていたことの経験や知識がありません。灯油の暖房機はまだ使われていますが、そこでもマッチを擦ることはなく、ボタン一つで自動点火になっているでしょう。  すっかり昔話になってしまいましたが、この30~40年ぐらいの間に科学技術はめざましい発展を遂げ、私たちの生活は本当に便利になりました。しかし、こうした便利さ、安全性と引き替えに私たちは、人間として多くの物を失いかけているのかもしれません。

あと、30~40年経つとしたら…。こう考えると…。改めて園長先生がおっしゃったことの重大性に気付かされました。そうした時代を迎える子どもたちに、どのような力をつけさせれば良いのか…。

2020年の学習指導要領改定に伴い、文部科学省から様々な情報が発信されています。「主体的・対話的で深い学び」に関しては、何ら異存ありません。明星学園は、そうした学びの老舗です。「知りたがり」「やりたがり」「話したがり」そして「つながりたがり」。便利すぎて仕組みが見えなくなってきている現在の生活の溝を埋めるいちいちの営みが、現象と本質の見えないつながりをひもとく営みに繋がっていきます。この先50年、100年先を見据えた時に、こうした日々の実践がより大切になってくるように思います。7月30日(日)のシンポジウムにも、お時間ありましたら是非ご参加ください。

※シンポジウムに関しましては、学園HPをご覧ください

校長だより
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